|
|||||||||||||||||
産泰神社 創建は鎌倉時代、武蔵七党のうちの児玉党の一族、四方田五郎左衛門資綱が この地に砦を築いたときに守護神として勧請して祀ったのが始まりと伝えられている。 その後、延元2年(1337)北畠顕家が戦勝祈願をして勝利し、兜を奉納した。 元禄年間(1688〜1704)京都吉田家配下杉田氏が奉仕するようになり、代々神職を務めている。 祭神は素盞鳴尊、天照大神、木乃花咲耶媛を祀る。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
栗崎金鑚神社 祭神は天照大神、素盞鳴尊、日本武尊を祀る。 社伝によると、児玉党の一族、荘太郎家長により奉祀されたと伝えられ、 昔から雨乞いの神様として知られている。 金鑚神社はこの付近の豪族・児玉党の守護神に当たるものである。 金鑚は金佐奈とも金砂とも言われ、砂鉄に関連した名前と考えられる。 宥勝寺裏埴輪窯跡 この神社の裏山にあり、古墳に立て並べられる埴輪を焼いた窯跡。 窯の周りから人物埴輪や馬型埴輪のほか、 矢を入れる武具「靫」の形をした埴輪などが出土した。 現在はマリーゴールドの丘という公園になっている。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
塚本古墳群(美里町) 早稲田大学本庄キャンパスに隣接した塚本山一面に古墳が残る。 分布調査では178基が確認されている。その中で8割は15m以下の円墳で より大きい古墳を取り巻くように分布している。 築造年代は5世紀後半から8世紀初頭で、6世紀末〜7世紀後半に最盛期を迎えたとみられる。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
東谷古墳 大久保山丘陵尾根の上にある古墳で、墳丘は直径約27mの円墳。 墳丘の中心部には横穴式石室が築かれ、現在でも、側室、奥壁、天井の一部が残っている。 開口部は奥壁の天井部分とみられる。 築造時期は石室の構造や埴輪を持たないことなどから7世紀代とみられる。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
前山1号墳 以前は円墳と考えられていたが、墳丘は全長70m以上、後円部の直径は約48m、高さ7mの前方後円墳。 後円部斜面の一部には河原石を並べた葺石が存在する。 後円部と前方部の斜面には堀がめぐらされていた。 造築時期はその形式や出土土器から古墳時代前期後半(4世紀後半)ごろとみられる。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
本庄早稲田の杜ミュージアム1 本庄早稲田の杜ミュージアムは本庄市と早稲田大学が共同で開設するミュージアム。 市と早稲田大学が所蔵する豊富な資料を活用し、 地域の歴史をグローバルな視点でとらえる展示を行っている。 展示室では多種多様な埴輪をはじめとする考古資料などで、本庄市の歴史と文化をたどります。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
本庄早稲田の杜ミュージアム2(埴輪の世界) 本庄市では3世紀後半から4世紀にかけて古墳が築かれ始めます。 4世紀後半になると埴輪が現れ、5世紀には人物や馬などが表現されるようになりました。 6世紀になると、靫,翳(さば)、盾持ち人物などあらゆる種類の埴輪が作られました。 ここでは市内の古墳から出土した様々な埴輪を展示する。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
本庄早稲田の杜ミュージアム3(本庄市の歩み) 本庄に人々が暮らし始めた約2万年前の旧石器時代から16世紀の室町時代までの 出土資料を展示して、本庄市の歴史を紹介します。 旧石器時代の石器から、縄文、弥生時代の土器など・・・ 関連資料としてエジプトの貿易都市アルニフスタート遺跡出土資料を展示します。 |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
本庄早稲田の杜ミュージアム4(再び、埴輪の世界) 本庄早稲田ミュージアムの近くに宥勝寺裏埴輪窯跡がある。 この窯跡は古墳に並べる埴輪を専門に焼いた窯跡。 ここからは靫型埴輪をはじめ多くの埴輪が出土した。 このことから本庄市では多種多様な埴輪を見ることができる・・・ |
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||